TOP >> コラム >> 「貞山堀 界わい」 - ある釣師のはなし -
だれでもが、現在の貞山堀は“無用の長物”になっているという。
運河は、そもそもが政宗の発案といわれてきたがはっきりはしない。船運に頼っていた当時であるから、阿武隈・名取・鳴瀬・北上の大きな川を運河で結ぶという考えはもっていたのかもしれない。
藩政時代以来の目標が明治二十二年になって完結したのであるが、折り悪しく明治二十年には仙台まで東北本線ができ上がり、かつ海洋の大型蒸気船も発達して、貞山運河はでき上がったとたん、残念なことにその意義を失ってしまった。以来、放置されたままで、排水の役に立つどころか水害の原因になる恐れの方が大きいというところもある。しかし、そう持て余されても困るのである。
第一にここは、わたしたち釣師の良い釣り場になっている。四季を通じて、ハゼ、フナ、ハヤ、コイ、カレイが釣れる。仙台・塩釜・石巻の三市からすぐ近いこの運河は、日曜、休日ともなれば大人、子供の太公望でいっぱいになる。最近は婦人の姿も見かけるようで、餌のゴカイを売るだけで生活している人も大勢いるのである。
かつて思いもかけないことであったが、寓居を閖上の貞山堀添いに設けたことは、わたしの老いに大きな若さをもたらした。そして釣りは、四季を通じて可能であることも判った。仙台での生活でも、バス利用でしばしば閖上の地は訪れたのであるが、いずれの年も十一月なかばは竿おさめであった。ところが貞山堀では、釣れなくなった落ちハゼが広浦橋の上からだといくらでも釣れるのである。しかしこの頃になると、橋の上は実に寒い。十二月末まで釣れるが防寒具が大変で、親指と人差し指の先端を切り取った毛の手袋をはめる必要があった。
貞山堀は、満潮時でも平均一メートルそこそこだといわれているが、ハゼは十一月いっぱいで釣れなくなる。このあとは、広浦の深みでないと釣れないのである。太公望たちも寒さがやりきれないものだから、もうまばらで、本物の釣り気狂いしかやってこない。
わたしも、そろそろ閖上の名物釣師になりかけ、顔見知りの人たちがだんだんに増えつつあった。釣りの帰り道では、貞山堀界わいの家々から必ずといってよいほど声がかかった。
「今日はどうでがした?」
「まあまあだったねえ、なんぼあるかなあ」
「そすか、どれどれ」
と、フゴをのぞきにくるのは、わたしが餌を買ってゆくゴカイ屋の婆さんである。次の日、ゴカイ屋の宣伝材料にするつもりなのだ。そして、
「昨日、あそこの人はこーんなに釣ってきたよ」
と、餌を買いにくるお客をあおるのである。一箱買うつもりのお客は、ついつい二箱買ってしまう。ゴカイ屋は絶対、釣れてませんとは言わない。しかしわたしは、これを責める気はさらにない。
釣りの醍醐味というのは、釣れた瞬間の手ごたえ、ないしは釣果ばかりを云々するのではない。今日は釣れるだろうか、という期待感の充足にある。
安易に期待感が充たされたのでは、軌道をの上を走る電車と同じで、そんな人生はあり得ないし、それでは進歩がない。わたしたちの生活にとって、わたしたちの期待することが現実には良い方にばかりいっているとは限らず、むしろ悔いの方が多かったことをわたしたちは知っている。釣りとはそんなものなのである。
― 最大の釣果をあげるために、わたしたちは最大限の努力をした。
わたしたちの趣味として ―
それだけで、閑日月のいっときが終了した。それでよいのではないか。
釣りも人生もそんなものなのである。
― 閖上風土記(昭和52年刊)より ―
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